湊川パークタウン・湊川商店街・中の筋商店街

神戸の台所・湊川

神戸一の繁華街として

かっこいい楠正成像
かっこいい楠正成像

湊川の歴史をひもとけば、楠公さんで親しまれている楠木正成が足利尊氏と決戦の末、敗れた最後の地。

神戸の川は、大雨のたびによく氾濫しました。明治29年(1896年)には現在の新開地本通りを流れていた湊川が決壊して大水害がおこり、河川の付け替えが行われました。  旧湊川を埋め立て、明治38年(1905年)に兵庫のまちと神戸のまちの間に、南北に長い砂地の空き地ができ、南に『湊川新開地』ができました。

新開地の北側に湊川公園ができ、大正13年(1924年)には東洋一の高さを誇る神戸タワーがシンボルとして建てられました。
この当時の新開地は神戸一の繁華街として賑わいましたが、昭和20年(1945年)3月の神戸大空襲で焼け野原になりました。

みなとがわは、この湊川公園の西側堤に位置し、昭和初期からは神戸電鉄のターミナル・湊川駅を中心に栄え、戦後は庶民の台 所として発展し、知られてきました。

魅力あふれる500もの店舗

魅力あふれる500もの店舗
商店街の様子

神戸市営地下鉄西神山手線・湊川公園駅から地上に出れば、そこが湊川一帯に広がる『神戸新鮮市場』の南口です。北へ向かう約1kmの間に、衣食住すべてがそろう約500の店舗がぎっしり立ち並んでいます。

『神戸の台所』と呼ばれることからもわかるように、食料品店のイメージが強いですが、他のジャンルも負けてはいません。そもそも『神戸新鮮市場』とは、3つの市場と2つの商店街の連合体なのです

まずは最南端、湊川公園駅から出てすぐ目の前に広がるのがパークタウンと、センタービル。専門店とダイエーがひとつになったみなとがわプラザ。

衣料を中心としたこの3つのビルを中心としたものが『湊川商店街』です。

その北に位置するのがミナイチこと『湊川市場』。大正7年に神戸で最初の公設市場として誕生して以来、神戸っ子に親しまれ続けている市場で、地下には飲食店が、一階には生鮮食料品や惣菜を扱う店が並んでいます。

さらにその北にあるのが、湊川中央市場から阪神淡路大震災以後生まれ変わった『ハートフル湊川』。ほぼ中央を貫くのは、細い道の両側にぎっしり食料品店が立ち並ぶ『東山商店街』。さらにその北、神戸新鮮市場の北端にあるのが個性的な専門店がそろった『マルシン』と呼ばれる市場です。

威勢のいい声が飛び交う”下町”の姿が今も

威勢のいい声が飛び交う”下町”の姿が今も
商店街の様子

神戸市営地下鉄西神山手線・湊川公園駅から地上に出れば、そこが湊川一帯に広がる『神戸新鮮市場』の南口です。北へ向かう約1kmの間に、衣食住すべてがそろう約500の店舗がぎっしり立ち並んでいます。

『神戸の台所』と呼ばれることからもわかるように、食料品店のイメージが強いですが、他のジャンルも負けてはいません。そもそも『神戸新鮮市場』とは、3つの市場と2つの商店街の連合体なのです

まずは最南端、湊川公園駅から出てすぐ目の前に広がるのがパークタウンと、センタービル。専門店とダイエーがひとつになったみなとがわプラザ。

ずらりと並んだ店舗は一度や二度、足を運んだくらいでは把握できるものではなく、豊富な商品や特売の魅力にやみつきになる人も。また、三宮や元町など神戸で飲食業を営むオーナーたちが仕入れの場所としても活用しています。

何よりも魅力的なのは、湊川エリア一帯が人情味あふれる空間であること。店頭に立ち止まって品定めする人に声をかける店主の姿や、買い物するではなくとも、みなとがわの町で立ち止まって談笑する人々の姿などは、最近では失われつつある下町の姿ではないでしょうか。

神戸に来たならぜひ“みなとがわ”に立ち寄ってみてください。
きっと何かを思い出しますよ。